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誰にでも [つれづれ・・・]

・・・、自分にピッタリなひと(パートナー)がいるはず!

↑という文言について考えた。そうかもしれない。でも、その「自分にピッタリなひと(パートナー)」に出会う確率は、万人に平等に与えられているわけでもなさそうだ。

最近、もの凄く打算的な自分が前面に出てきているような気がして、自分に嫌気が差しているのだ。

元彼の一件もそうだが、「これは良いけど、これがヤだ」の「ヤだ」の部分が強調され過ぎている。これじゃイカンのはよぉぉぉぉぉく分かっているが、どうにもこうにも譲れないので困っている。

以下は過去の例:
 ・価値観は一緒だけれど、一般常識がなっていない
 ・経済的には安定しているけど、好みでない
 ・優しいけど、ちょっとおつむが弱い

などなど。

理想は理想、現実は現実で割り切らないとなぁ。

先日、母と電話で喋ったときに、母方の兄妹の孫の話が出た。かいつまんでいうと、親バカ・祖父母バカが重って躾がなっていないガキが多いらしい。そこで母から出たコメントは、「私に孫が出来たら・・・」というその一言だ。

ぐさっ。

気持ちは良く分かるけど、私にはその一言を叶えてあげることは出来なそうだ。あーあ。何のために生きているのだろうねぇ。


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