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話をもってゆく人 [つれづれ・・・]

・・・だったのだ。

以前、こちらで飼い犬のハナシしかしない同僚(他社からのハケン社員)のお姉さんがいると書いたが、この人は自分が話の中心にいないと潜在意識的に気が済まないらしい。

先週の土曜日、以前のハケン先を約1年前に辞めた知り合いが主催者のとある催し物へお邪魔した。ハケン先の仲間数名と足を運んだのだが、その人(仮にAさんとする)も来るというのだ。

別にそれはよい。

ただ、事前に主催者とメールをする中で、「Aさんのハイテンションについてゆけないかも・・・」という意図の文章が気になった。このAさん、傍から見ると自分が大好きで大好きで仕方がないらしい。もちろん、Aさんの話を聞く限りでは大変な苦労をしたとのことだし、今のAさんは大変な苦労を乗り越えた後のAさんなので、そりゃもう残りの人生は好き勝手に生きてもらって多いに結構だ。そんなわけで、Aさんはポジティブだ。

そしてそれは、心が少し弱っている人にはキラキラし過ぎていて少し辛いのだ。

私がハケン先を辞めるとき、社内で比較的仲良くしてもらっているメンバーでお昼に出た。その機会は2回あり、もちろん2回ともAさんを含めたメンバーになったのだが、主に彼女が喋り、話の内容はAさんと同じチームの仕事ができないと言われているBさんのことばかりだった。

そして、先週末に足を運んだ催し物会場およびその後に移動した居酒屋の場でも、主にAさんがBさんのことばかりをブーブー言って終わった。

お陰で私は新しい職場のことを根ほり葉ほり詮索されずに済んだが、もう少し周りの空気を読んで欲しかった・・・というのは私の勝手な思い込みだろうか。

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昔の有名な某アニメ [つれづれ・・・]

・・・を見ている。

世界的に有名な話をアニメーションにし、私が子供の頃に放送されていたものだ。

とある国のビンボーな少年の話で、周りの一部の意地悪な大人たちからの陰湿な嫌がらせにより、最終回では少年とその飼い犬が天に召されるというあの有名な話だ。

「ビンボー」

私の中ではこれが一番のキーワードだった。

そして、金持ちの旦那は「ビンボー」という実に下らない理由を盾にして、この少年を毛嫌いする。そして周りの人々も、なんだかんだでこの金持ちの旦那にお世話になっている立場上、金持ちの旦那に歯向かうことはできない。今でいうパワハラみたいなもんだ。酷いのは、この金持ちの旦那一家の面子にはことごとく下手に出るが、自分よりも立場の弱いものには鬼の首を取ったの如く厳しく当たる酷いやつ。

フィクションとは分かりつつも、このビンボーな少年がそれでも健気に前向きに生きている姿を見て、何度涙したことだろう。

結末が分かっている最終回の放映は明後日だ。今、心が弱っている私はそれこそ号泣するであろう。

結局、世の中はお金がないと話にならないのだ。

私も早くこの「ビンボー」から抜け出したい。

洗濯槽の掃除 [つれづれ・・・]

・・・をしてみた。

「最後に洗濯槽をキレイにした」ときの備忘録として記録しておく。

確か最後に洗濯槽クリーナーを使ったのはもう覚えていない。過去2年間のビンボー生活の間はそんな余裕はないので、少なく見積もってもパワハラを受ける前の話だ。しかも、パワハラを受ける前に勤めていた会社は激務だったためその期間も怪しい。となると、目いっぱいオマケをしても2014年末以降は放置していたことになる。

きっかけは、洗濯物を干すときにときどき変な黒いビロビロが目についたことである。

うすうす気にはしていたものの、ビンボーを理由に避けてきた。

初めてこのビロビロに気づいたときは「なんじゃこりゃー」と思ったが、ニンゲンとは慣れるもので、特に目立った害がないことが分かると然程気にしなくなってしまった。経済力が落ちると、生活の質もここまで堕ちる。だが、次第にこのビロビロが頻出するようになり、さすがに何とかしたいなという気持ちになってきたのである。

定収入があった時はクチコミを調査しまくり、少々値が張るシロモノでもそこそこ評判のよい洗濯槽クリーナーを購入した。そしてその「少々値が張るシロモノ」を買う余裕はもはやない。

幸いなことに、比較的手ごろな値段でクチコミ評価もそこそこ良い洗濯槽クリーナーをなぜか家電量販店経由で入手することができた。10%のポイント還元もあるので助かる。

単刀直入に結果を書くと、こりゃたまげたよ。

泡のチカラでそのビロビロを浮かせて落とす、という趣旨の謳い文句だったのだが、泡の表面にはあまり出てこなかった。少し肩透かしを食らい、何度か「洗い」の途中で確認してみたが、それでも泡の表面にはあまり出てこなかった。しめしめ、毎度フタを閉めないことが幸いしたのか、と自己満足に浸ったのである。

そして、私の自己満足を上書きすべく、すすぎのときに驚愕の結果を知ることになる。

すすぎの途中で一時停止し、どんなもんかと見てみたところ、思わずきゃあとほくそ笑んだ。ほくそ笑んだのは、自己満足がいとも簡単に覆され、素直にそのコスパに満足したからだ。

スマホで写真を撮ったが、スんゴいのが多数漂っている。既にうすうすう感づいていたことと、その洗濯機を使うのは私だけであることと、「なんか、服、臭いですね」という反応に出くわしたことがないこととなどから「うわー、こんな洗濯機で洗濯してたんすかっ?!」までには至らなかったが、これは今年中にもう一度使ってみようと思った。こりゃ面白いわ。

塩素系の洗濯槽クリーナーは裏側の菌をやっつけるが、酸素系の洗濯槽クリーナーは裏側にこびりついたゴミを浮かせて取り除いてくれる。うまく使い分けたい。

ただ、今までこの洗濯機で洗濯をしてきて、明らかにこの洗濯機による健康被害は出ていないため、あまり神経質になりすぎないようにしたい。

包丁研ぎ [つれづれ・・・]

・・・をお願いしに行ってきた。

私が使っている包丁は、ここに引っ越してきた時、母からもらった名入りの包丁だ。当初はそれはそれは良く切れて、切り口が滑らかというか鮮やかというか、思わず「うわおー」と声を上げるほどの切れ味だった。

それ以前に海外で生活していた時に現地で使用していた包丁も記念(?)に持ってきたのだが、いかんせん切れない。そもそも、切る対象が肉だのあまり繊細な刃さばきを求めないシロモノだったので比較する土俵が異なるのだが、それでも「切れ味が良い」というにはあまりにも無理のある刃物だったのだ。

一度、近所で研いでもらったことはある。近所の繁華街に当時あった古くからある雑貨屋さんのようなお店にお願いした。1000円くらいだったように記憶している。そして1週間預けた。もちろん、切れ味抜群に復活して帰ってきたのだが、あれから数年が経った。ふと、何となく切れ味が落ちたかなと刃の部分をまじまじ見てみたら、何だかガキガキだ。刃先など、何かのついでに欠けてしまったような風貌だ。

何しろ、トマトがスパっと切れない。そして、例えばロールケーキのようなふわっふわのモノの「ふわっふわ」を犠牲に機会がおもむろに増えたような気がしたのだ。

でも、毎月貯金を取り崩している時給戦士の私には1000円は痛い出費だ。何とかもっとお手頃に研いでくれるところはないかと探したところ、高齢者が活躍している公益法人で月に何回か刃物研ぎをやっているという情報を得た。しかも、ここから徒歩10分圏内の超近所だ。ありがたい。

約1時間ほど預け、包丁はピッカピカのキレッキレになって戻ってきた。

ピッカピカのキレッキレになった包丁で早速切ってみたのは、6分の1にカットされたかぼちゃだった。サクっというその切れ味に思わず「うわおー」と声を上げたのは言うまでもない。

包丁よ、また暫くお願いしますぜ。そして研いでくれたみなさん、ありがとうございました!

話の合わせ方 [つれづれ・・・]

・・・が面倒くさい。

今年の1月、隣のチームにあるハケンの人が入った。直接の作業で関わることはないが、ひょんなきっかけでここ数週間はお昼を一緒にすることが多い。それは良いのだ。

ただ、この人は飼い犬の話以外の話題を持ち合わせていないようだ。

お昼を一緒にするもう一人のハケンの人も犬を飼っている。この二人は犬の話題で難なく盛り上がれるが、もう犬を飼っていない私は正直なところついてゆけない。私が飼っていた犬とは比べ物にならないほど甘やかされているようで、しつけもほとんどされていないらしい。話を聞いているだけでもううんざりする。

私も2匹の犬を飼ったことがあるし、犬は大好きだ。ただし、私の中では犬は犬である。もちろん大事な家族の一員に違いない。でも、人ではなく犬だ。

口を開けば「ウチの子」が何をしただのどうなっただの、「ママ」がなんだのどうだっただの、私にはどうでもいいし、その感覚についてゆけない。否定する気は毛頭ないが、私の価値観とまったく異なる。

そんな話題に笑いながらついてゆくのにほとほと疲れた。せめて、犬以外の話題にしてもらいたい。写真や動画ももう見せてくれなくていいです。。。

結局、この人たちは空気が読めないということになるのだろうか。

それとも、私自身の問題なのだろうか。

2年前の [つれづれ・・・]

・・・昨日、当時の直属上司に辞める旨を伝えた。

もう丸々2年経ったのだ。

たった2ヶ月、実際は祝祭日もあったので実質1ヶ月少々だと思うが、たったそれだけの期間で私は心身共にボロボロの再起不能になった。あれから2年「も」経ったが、一度壊れた心は今でも暗い影を常に持っていて壊れやすい。「たったの」2年ではリカバリは難しい。残りの職業人生の間は決して完全には癒えない傷になって残るのだろう。

あの日からすべてが変わってしまった。望まぬ方向にすべてが変わった。

厳密にいうと、あの環境に行こうと決めたときからすべてが変わったのかもしれない。

そして今やっと前に進む準備を進めはじめている。

道は長い。

辛い想いをした2年間が報われますように。。。

「つながり」について (その2) [つれづれ・・・]

先日の「つながりについて」潮時だと考えたその後の話を記しておこうと思う。

「いっそのこと、インフルエンザにでもなった(ことにして)行くのを止めようか」という引き気味の自分と、「1年に1回なのに、ここで出て行かなかったら本当に切れてしまうぞ」という押し気味の自分と闘うこと数日。結局、押し気味の自分に押されて出向くことにした。関係者の集合時間は午前8時だ。まだ暗い5時半に起きて、洗濯物を干してから6時半に出かけた。

結論から言うと、出向いて正解だった。

1年ぶりに会う面子が殆どだったが、そんなことを気にする雰囲気は微塵もない。もちろん、知らない顔はたくさんいたが、それはそれでお互いに何とも思わない。前から知っている皆さんは「久しぶり!」と声を掛けてくれる。何とありがたいことか。

こういうつながりは本当に大切にしなければいけないと改めて思った。

早く仕事を見つけて落ち着いて、大事なつながりのために何かしたい。

「つながり」について [つれづれ・・・]

・・・最近よく思う。

歳を取ってきたせいも手伝っているのであろう。貧困孤独老人まっしぐらの私は、両親が別世界へ旅立ってしまったらそれこそ誰も頼れる人がいない。

以前、とある業界で仕事をしていた時は、その業界ではちょっと名が知れている人たちと頻繁に交流していて、そのちょっと名が知れている人たちが催すイベントなどのお手伝いに積極的に参加できていた。あの時はある程度自由に動けたし経済的にも安定していたので、進んで役を買って出たり対応できていた。

ところがどっこい、パワハラ退職をきっかけとした転落人生のお陰で経済的な余裕がなくなり、積極的どころかまったくお手伝いできない状態になってしまった。正確にいうと、自分の日々の生活を優先させなくてはならず、交通費や時間の捻出を二の次にしてしまったのだ。もっと正確にいうとサボってきたのである。

そのため、年単位でお手伝いできていない。

とても心苦しく思っている。

ハケン先から打合せの場に向かうまでに恐らく1時間はかかろう。しかも移動代も1000円を超すであろう。これは痛い。打合せの場は定期券が使えない場所が殆どなのだ。

それでも、今年は少しお手伝いできるかもと思ったのだが、私が活動していた頃の面子とは大分入れ替わっているし、当時の私の役割はもうない。役割があったとしても今のこのハケンの身分では自由に動くことは難しい。休めば稼ぎが減る。有給休暇もあるが、それはこれからあるであろう(と願っている)転職活動に使いたいので気軽に使いたくないのが本音だ。早い話が、すっかり出遅れてついてゆけないのだ。当たり前だが、面子も、情報も、役割もみんな変わっている。

そろそろ潮時なのかもしれない。

社外活動は私の大事ない場所であり、そこで知り合ったみなさんとのつながりもとても大事だったのに、すべてが壊れつつある。

自業自得なのだが、パワハラのせいで何もかもが狂ってしまった。

「金の切れ目が縁の切れ目」とはこのことか。

2017年明けちゃいました [つれづれ・・・]

…とは言うものの、ここ数年はいつもの週末や祝日と何ら変わらない。

何が変わるわけでもない。

相変わらずの時給生活で余裕もなく、いつまたクビになるのかとビクビクし、正社員のレールに戻れることを願うもののハードルはどんどん高くなる。

そんなことをブツブツ言っていても何も変わらない。

ぐずぐずしていると直ぐに時間が経ってしまう。今年は思い立ったらパッと行動に移す回数を増やそう。「あとでいいや」を減らそう。

高望みはしない。願うのは、安定した仕事に就いて不安なく生活したいことだけ。

あと、世界平和。これも私の真面目な願いだ。

2016年のまとめ [つれづれ・・・]

今年もあと2日で終わる。

一昨年の今頃は例のパワハラ会社に入社した直後で、疲弊しながら年末を迎えていたと思う。昨年の今頃は、ハケンの貧乏生活になりながらも、心のバランスを失った私にとって比較的安全な環境で働いていた。そして今年、昨年より更に貧乏になり更にストレスを溜めながら何とか生き延びている。

今年も大きく健康を害することなく、何とか自活できたことに感謝します。
心配をかけてばかりの私を、いつも優しく受け止めてくれる母に感謝します。
忙しい合間を縫って時間を作って、私に元気を分けてくださる大切な人たちに感謝します。

目指す仕事に就くために大枚をはたいて資格を取ったが、転職市場における年齢の壁は依然高すぎる。それでも挑み続けなければならない。年齢の壁さえなかったらと思い、社会の理不尽な仕組みに怒りを覚えることも日々ある。真面目に働いて稼いだ僅かな給料から徴収した税金を無駄に使うお偉い、ろくに働きもせずにその税金の恩恵を受けて優遇されている人々、金持ちだけが儲かる社会の仕組み、平気で嘘偽りをほざく人々、世の中は不公平だ。不安が払しょくされる兆しはない。

そんなことをイライラしながら考えても何も変わらない。

来年からは良い運周りになるはず。

そう思える年になって欲しい。

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